2013年11月16日土曜日

雑感-『迷宮庭園』(日野啓三)

慶応病院の敷地に接している新宿御苑の整形庭園のことが書かれている。
何度も歩いた場所だが、それが迷宮庭園の一部をなしていることは知らなかった。
(あるいはボルヘスのように作者の空想の産物かも知れないが・・・)

腎臓癌を告知された作者は、恐怖のために眠れぬ夜を幾晩も重ねて、いよいよ明日手術というその夜に次のように実感する。「迷宮とはどこから入りこんでも中心へと至りつくその中心への情熱の産物であり、そのように中心に至りつこうとする情熱の核心には、中心でこそこの世のものならぬ何かが起こりうるかもしれない、という魂の、ほとんど神話的な希求がひそむ」ということを・・・。

・・・・<古いおまえはこれから象徴的に死ぬのだ、そして神話的に再生することになっている。今回の手術はその死と再生の秘義、通過儀礼(イニシエーション)に他ならない。いままでのおまえは本当に生きてはいなかったのだ。この儀式を耐え抜くことによって、新しい永遠の生命を得られるかもしれない>ということがわかった。証明も説明もなしに、すっとすっきりと。・・・・
(p73)

その<啓示>を受けて作者の恐怖と不安は消え、その気づきが手術に間に合ったことに深く感謝する。

そして十年が経ち、作者はまた同じ病院に戻ってきて新宿御苑の庭園を眺めている。ひそかに心を通わせている女性と、その<中心の場所>に立つ日のことを思い描きながら・・・。


言うまでもないが、作者というのは、もちろん、かぎりなく作者に近い、小説の主人公のことである。


『落葉 神の小さな庭で』(日野啓三)より