生きている生首オスカー・ワイルド忌
-1900年11月30日、梅毒による脳髄膜炎で死去。享年46歳-
(参考)オスカー・ワイルド -Wikipedia
Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde (16 October 1854 – 30 November 1900)
2013年11月30日土曜日
2013年11月29日金曜日
ジャコモ・プッチーニ忌
聴衆は寝てはならないプッチーニ忌
-1924年11月29日、65歳で死去-
Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini (Italian: 22 December 1858 – 29 November 1924)
-1924年11月29日、65歳で死去-
Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini (Italian: 22 December 1858 – 29 November 1924)
2013年11月28日木曜日
エンリコ・フェルミ忌
原子力滅びの火なるかフェルミの忌
-1954年11月28日、癌により53歳で死去-
(参考)エンリコ・フェルミ -Wikipedia
Enrico Fermi (Italian: 29 September 1901 – 28 November 1954)
-1954年11月28日、癌により53歳で死去-
(参考)エンリコ・フェルミ -Wikipedia
Enrico Fermi (Italian: 29 September 1901 – 28 November 1954)
2013年11月27日水曜日
2013年11月26日火曜日
2013年11月25日月曜日
2013年11月24日日曜日
イジドール・デュカス(ロートレアモン伯爵)忌
デュカス忌やここで遭ったが手術台
-1870年11月24日、居住先のホテルで謎の死を遂げる。享年24歳-
(参考)ロートレアモン伯爵 -Wikipedia
(参考)解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい
-1870年11月24日、居住先のホテルで謎の死を遂げる。享年24歳-
(参考)ロートレアモン伯爵 -Wikipedia
(参考)解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい
2013年11月23日土曜日
雑感-「ドライブ・マイ・カー」(村上春樹)
小説の粗筋は書かない。
興味のある人は、図書館に行ったついでに文藝春秋12月号を読んでほしい。
読む気があればすぐに読めてしまう短編だ。
ある初老の役者と女子運転手の話。
村上春樹の小説のパターンとして<謎の女性>がよく登場するのだが、この話では男の妻がそうだ。
男は妻の<真意>を知りたがっている。
<なぜそんなことをしたのか>という大きな疑義に男は苦しんでいる。
何か自分自身に致命的な<盲点>があったのではないかとまで思いつめている。
男の内訳話を聞いた女子運転手は、それは彼女の<病>だと言う。
答えになっていない答えだ。
などと思いながら謎の網にかかってしまう読者も少なくないだろう(私もそうだが)
春樹ワールドに馴染んでいる人はすっと引きこまれていく展開だ(長編の予感)
しかし、嫌いな人はまるでアレルギー反応のような拒絶を示す。
どうも、この作家は好かれるか、嫌われるか両極端の反応が目立つ。
嫌いな人は、彼の小説世界が<リアル>でないと感じるようだ。
作り物めいていて、鼻持ちならない、と。
そういう意味では、村上春樹の小説は<リアル>というものに対する一つの踏み絵かもしれない。
(参考)「ドライブ・マイ・カー」 -NAVERまとめ
興味のある人は、図書館に行ったついでに文藝春秋12月号を読んでほしい。
読む気があればすぐに読めてしまう短編だ。
ある初老の役者と女子運転手の話。
村上春樹の小説のパターンとして<謎の女性>がよく登場するのだが、この話では男の妻がそうだ。
男は妻の<真意>を知りたがっている。
<なぜそんなことをしたのか>という大きな疑義に男は苦しんでいる。
何か自分自身に致命的な<盲点>があったのではないかとまで思いつめている。
男の内訳話を聞いた女子運転手は、それは彼女の<病>だと言う。
答えになっていない答えだ。
などと思いながら謎の網にかかってしまう読者も少なくないだろう(私もそうだが)
春樹ワールドに馴染んでいる人はすっと引きこまれていく展開だ(長編の予感)
しかし、嫌いな人はまるでアレルギー反応のような拒絶を示す。
どうも、この作家は好かれるか、嫌われるか両極端の反応が目立つ。
嫌いな人は、彼の小説世界が<リアル>でないと感じるようだ。
作り物めいていて、鼻持ちならない、と。
そういう意味では、村上春樹の小説は<リアル>というものに対する一つの踏み絵かもしれない。
(参考)「ドライブ・マイ・カー」 -NAVERまとめ
2013年11月22日金曜日
2013年11月21日木曜日
2013年11月20日水曜日
2013年11月19日火曜日
雑感-「神の小さな庭で」(日野啓三)
ある晴れた秋の日。
<私>はリハビリのためステッキをつきながら家の近くを歩いている。
正午の日差しの中を介護士とともに近くの公園まで歩いていく。
その公園には三人の男の子が遊んでいた。
ひとりはやっと歩けるようになった年齢で、よろけ転びながら動き回っている。
その姿を<私>はリハビリでヨチヨチと歩いている自分の姿と重ねながら見ている。
その三人の子どもたちは<私>に関心を持ちはじめ、<私>をポカンと眺めている。
気がつくとその三人が<私>のすぐ前に並んで立っていた。
そのひとりは小さな片手に握っていた何かを<私>に差し出した。
そして、不明瞭な声でしきりに何か言っている。
<私>がそれを受け取ってみると、それはドングリであった。
・・・・意味や目的はあいまいでも、何か温かいものがふたりの間に流れ伝わったことにふたりとも満足したことを感じ合ったとき、私は穏やかに深く感動し、「天国はこのような者の国である」という福音書の中の言葉を、しっかり過不足なく理解したと信じた。・・・・
(p224)
人間は「説明も強要も一切なしに、共感し納得し合うことが時に可能」であるということを、<私>は深く感じた。
この作品は、『落葉 神の小さな庭で』という短篇集の最後の小品だが、まさにこの作品群のまとめともなっている。
「大人」が「子ども」によって許されるというテーマは「そして父になる」でも感じたことだが、気になるのはその「子ども」の世界を大人たちが歪め始めているということだ。
虐待もそうだが、それ以上にわれわれの世界を<汚染>している資本主義の害毒が子どもの世界まで及び始めているのが心配だ。
この世界から「子ども」が消えてしまえば、もう我々の世界を浄化してくれる存在はなくなるのだから。
<私>はリハビリのためステッキをつきながら家の近くを歩いている。
正午の日差しの中を介護士とともに近くの公園まで歩いていく。
その公園には三人の男の子が遊んでいた。
ひとりはやっと歩けるようになった年齢で、よろけ転びながら動き回っている。
その姿を<私>はリハビリでヨチヨチと歩いている自分の姿と重ねながら見ている。
その三人の子どもたちは<私>に関心を持ちはじめ、<私>をポカンと眺めている。
気がつくとその三人が<私>のすぐ前に並んで立っていた。
そのひとりは小さな片手に握っていた何かを<私>に差し出した。
そして、不明瞭な声でしきりに何か言っている。
<私>がそれを受け取ってみると、それはドングリであった。
・・・・意味や目的はあいまいでも、何か温かいものがふたりの間に流れ伝わったことにふたりとも満足したことを感じ合ったとき、私は穏やかに深く感動し、「天国はこのような者の国である」という福音書の中の言葉を、しっかり過不足なく理解したと信じた。・・・・
(p224)
人間は「説明も強要も一切なしに、共感し納得し合うことが時に可能」であるということを、<私>は深く感じた。
この作品は、『落葉 神の小さな庭で』という短篇集の最後の小品だが、まさにこの作品群のまとめともなっている。
「大人」が「子ども」によって許されるというテーマは「そして父になる」でも感じたことだが、気になるのはその「子ども」の世界を大人たちが歪め始めているということだ。
虐待もそうだが、それ以上にわれわれの世界を<汚染>している資本主義の害毒が子どもの世界まで及び始めているのが心配だ。
この世界から「子ども」が消えてしまえば、もう我々の世界を浄化してくれる存在はなくなるのだから。
フランツ・シューベルト忌
冬の旅ひとり泣くシューベルトの忌
-1828年11月19日、31歳で死去。死因は梅毒治療のための水銀中毒など諸説-
(参考)「風立ちぬ」とシューベルト『冬の旅』
(参考)フランツ・シューベルト Wikipedia
-1828年11月19日、31歳で死去。死因は梅毒治療のための水銀中毒など諸説-
(参考)「風立ちぬ」とシューベルト『冬の旅』
(参考)フランツ・シューベルト Wikipedia
2013年11月18日月曜日
2013年11月17日日曜日
雑感-「ボルヘスと『現在』」(平野啓一郎)
ボルヘスは最後は全盲のような状態だったらしい。
そのため彼は世界を「描写」ではなく「暗示」という手法で示そうとしたという。
私も目があまりよくないので思い当たるフシがある。
きっと目がいい人たちが見ている世界と悪い人が見ている世界はかなり違っているのだろう。
たとえば、私は道を歩いている誰かを認識するのに、その顔ではなく、むしろその姿の特徴によって認知することが多い。
ある程度近づかないとその人の顔がわからないから。
ボルヘスは、視力を失ってその代わりに音に敏感になり、アングロ・サクソン語を非常によく理解できるようになったという。
ある言語は<視覚的>であり、ある言語は<聴覚的>ということがあるのだろうか。
もしそうであるならば、英語を学ぶ人は目だけではなく、むしろ耳を活用して勉強した方がいいことになる。
ボルヘスには、死ななくなった人たちを描いた「不死の人」という作品がある。
彼は「死(もしくはその暗示でさえも)人間を尊くも悲愴な存在にしている。人間はその幻影としての条件を通して行動する。人間がなしとげるすべての行為は最後の行為であるかもしれない」と述べている。
老いや病気のために死を目前に見据える人には、実感できる感覚であろう。
たいていの人は、強力な<忘却力>のおかげでそれを忘れて生きているのだが・・・。
しかし、人がひとたび<不死>というものを手に入れたら、その一回性は消えてしまう。
つまり、人が持つ<尊厳も悲愴>も消えてしまうということだ。
量的な意味では、人はすでに<不死>を手に入れたとも言える。
縄文時代の平均寿命が15歳ぐらいで、江戸時代に入ってやっと20~30歳ぐらいになったそうだ。
現在の寿命からすれば、人はあっという間に生まれあっという間に死んでいったことになる。(あくまでも<平均化された人>であり、出生後すぐに死ぬ人が多かったということだろうが)
縄文時代の人から見れば我々は不死の人のように見えたであろう。
たとえば、今500年生きる人を見たらそれは我々にとってかぎりなく不死にみえるように。
早くに死んでいく人間と長く生きて死んでいく人間の本質的な差はなんだろうか?
もちろん、長く生きることによって<経験値>は高まるだろうが、その長さに見合って死と向きあう時間も増えるはずだ。それが人の<尊厳や悲愴>を増大させるかどうかはわからない。
人間の物理的な身体には<耐用年数>があるが、未来には機械や別の臓器への<移住>によって無限に命をつなぐこともできるかもしれない。
しかし、それが<不死>といえるかどうかは解釈の分かれるところであろう。
そこには、<自分>とは何かという問題があるからだ。(今の常識では<脳>本体ということなんだろうが・・・)
各人の脳ではなく、遺伝子レベルでみれば、我々はすでに不死に近い状態にある。
しかし、自分たちを<不死>だと考える人はあまりいないだろう。
<家系>や<民族>などを<自己>と同一視する人にとってはある種の<不死>が成立していたかもしれない。
それから「八岐の人」という作品について。
小説を書いている男の話だが、その小説は通常のそれのように<あれか、これか>という行動の選択ではなく、<あれも、これも>というあらゆる可能性に枝分かれしていく物語だという。
もちろん現実的にはありえない話だが、記号的には可能であるところが面白い。
いわゆる多世界解釈だが、この小説と同様、解釈は可能だが、それはあくまでも可能性として存在する世界にすぎない。
現実、つまり現象世界はひとつ(ないし、多少のヴァリエーションの実現性の総体)だと思う。
個人の人生や人類総体の歴史がそうであるように、あらゆる数学的可能性の中である特定のパターンだけが選ばれているのはなぜかという問題がそこにはある。
われわれは、なぜ特定の物語(あるプロットとそのヴァリエーション)しか生きられないのか?
ポーは「物語は最後の文章のために、詩は最後の一行のために書かれるべきだ」と書いているが、まさに我々も最後(最期)の瞬間のために自分の物語を書き進めているだけかもしれない。
(参考)日本人は、いつ頃から"長生き"になったのか?
そのため彼は世界を「描写」ではなく「暗示」という手法で示そうとしたという。
私も目があまりよくないので思い当たるフシがある。
きっと目がいい人たちが見ている世界と悪い人が見ている世界はかなり違っているのだろう。
たとえば、私は道を歩いている誰かを認識するのに、その顔ではなく、むしろその姿の特徴によって認知することが多い。
ある程度近づかないとその人の顔がわからないから。
ボルヘスは、視力を失ってその代わりに音に敏感になり、アングロ・サクソン語を非常によく理解できるようになったという。
ある言語は<視覚的>であり、ある言語は<聴覚的>ということがあるのだろうか。
もしそうであるならば、英語を学ぶ人は目だけではなく、むしろ耳を活用して勉強した方がいいことになる。
ボルヘスには、死ななくなった人たちを描いた「不死の人」という作品がある。
彼は「死(もしくはその暗示でさえも)人間を尊くも悲愴な存在にしている。人間はその幻影としての条件を通して行動する。人間がなしとげるすべての行為は最後の行為であるかもしれない」と述べている。
老いや病気のために死を目前に見据える人には、実感できる感覚であろう。
たいていの人は、強力な<忘却力>のおかげでそれを忘れて生きているのだが・・・。
しかし、人がひとたび<不死>というものを手に入れたら、その一回性は消えてしまう。
つまり、人が持つ<尊厳も悲愴>も消えてしまうということだ。
量的な意味では、人はすでに<不死>を手に入れたとも言える。
縄文時代の平均寿命が15歳ぐらいで、江戸時代に入ってやっと20~30歳ぐらいになったそうだ。
現在の寿命からすれば、人はあっという間に生まれあっという間に死んでいったことになる。(あくまでも<平均化された人>であり、出生後すぐに死ぬ人が多かったということだろうが)
縄文時代の人から見れば我々は不死の人のように見えたであろう。
たとえば、今500年生きる人を見たらそれは我々にとってかぎりなく不死にみえるように。
早くに死んでいく人間と長く生きて死んでいく人間の本質的な差はなんだろうか?
もちろん、長く生きることによって<経験値>は高まるだろうが、その長さに見合って死と向きあう時間も増えるはずだ。それが人の<尊厳や悲愴>を増大させるかどうかはわからない。
人間の物理的な身体には<耐用年数>があるが、未来には機械や別の臓器への<移住>によって無限に命をつなぐこともできるかもしれない。
しかし、それが<不死>といえるかどうかは解釈の分かれるところであろう。
そこには、<自分>とは何かという問題があるからだ。(今の常識では<脳>本体ということなんだろうが・・・)
各人の脳ではなく、遺伝子レベルでみれば、我々はすでに不死に近い状態にある。
しかし、自分たちを<不死>だと考える人はあまりいないだろう。
<家系>や<民族>などを<自己>と同一視する人にとってはある種の<不死>が成立していたかもしれない。
それから「八岐の人」という作品について。
小説を書いている男の話だが、その小説は通常のそれのように<あれか、これか>という行動の選択ではなく、<あれも、これも>というあらゆる可能性に枝分かれしていく物語だという。
もちろん現実的にはありえない話だが、記号的には可能であるところが面白い。
いわゆる多世界解釈だが、この小説と同様、解釈は可能だが、それはあくまでも可能性として存在する世界にすぎない。
現実、つまり現象世界はひとつ(ないし、多少のヴァリエーションの実現性の総体)だと思う。
個人の人生や人類総体の歴史がそうであるように、あらゆる数学的可能性の中である特定のパターンだけが選ばれているのはなぜかという問題がそこにはある。
われわれは、なぜ特定の物語(あるプロットとそのヴァリエーション)しか生きられないのか?
ポーは「物語は最後の文章のために、詩は最後の一行のために書かれるべきだ」と書いているが、まさに我々も最後(最期)の瞬間のために自分の物語を書き進めているだけかもしれない。
(参考)日本人は、いつ頃から"長生き"になったのか?
2013年11月16日土曜日
雑感-『迷宮庭園』(日野啓三)
慶応病院の敷地に接している新宿御苑の整形庭園のことが書かれている。
何度も歩いた場所だが、それが迷宮庭園の一部をなしていることは知らなかった。
(あるいはボルヘスのように作者の空想の産物かも知れないが・・・)
腎臓癌を告知された作者は、恐怖のために眠れぬ夜を幾晩も重ねて、いよいよ明日手術というその夜に次のように実感する。「迷宮とはどこから入りこんでも中心へと至りつくその中心への情熱の産物であり、そのように中心に至りつこうとする情熱の核心には、中心でこそこの世のものならぬ何かが起こりうるかもしれない、という魂の、ほとんど神話的な希求がひそむ」ということを・・・。
・・・・<古いおまえはこれから象徴的に死ぬのだ、そして神話的に再生することになっている。今回の手術はその死と再生の秘義、通過儀礼(イニシエーション)に他ならない。いままでのおまえは本当に生きてはいなかったのだ。この儀式を耐え抜くことによって、新しい永遠の生命を得られるかもしれない>ということがわかった。証明も説明もなしに、すっとすっきりと。・・・・
(p73)
その<啓示>を受けて作者の恐怖と不安は消え、その気づきが手術に間に合ったことに深く感謝する。
そして十年が経ち、作者はまた同じ病院に戻ってきて新宿御苑の庭園を眺めている。ひそかに心を通わせている女性と、その<中心の場所>に立つ日のことを思い描きながら・・・。
言うまでもないが、作者というのは、もちろん、かぎりなく作者に近い、小説の主人公のことである。
『落葉 神の小さな庭で』(日野啓三)より
何度も歩いた場所だが、それが迷宮庭園の一部をなしていることは知らなかった。
(あるいはボルヘスのように作者の空想の産物かも知れないが・・・)
腎臓癌を告知された作者は、恐怖のために眠れぬ夜を幾晩も重ねて、いよいよ明日手術というその夜に次のように実感する。「迷宮とはどこから入りこんでも中心へと至りつくその中心への情熱の産物であり、そのように中心に至りつこうとする情熱の核心には、中心でこそこの世のものならぬ何かが起こりうるかもしれない、という魂の、ほとんど神話的な希求がひそむ」ということを・・・。
・・・・<古いおまえはこれから象徴的に死ぬのだ、そして神話的に再生することになっている。今回の手術はその死と再生の秘義、通過儀礼(イニシエーション)に他ならない。いままでのおまえは本当に生きてはいなかったのだ。この儀式を耐え抜くことによって、新しい永遠の生命を得られるかもしれない>ということがわかった。証明も説明もなしに、すっとすっきりと。・・・・
(p73)
その<啓示>を受けて作者の恐怖と不安は消え、その気づきが手術に間に合ったことに深く感謝する。
そして十年が経ち、作者はまた同じ病院に戻ってきて新宿御苑の庭園を眺めている。ひそかに心を通わせている女性と、その<中心の場所>に立つ日のことを思い描きながら・・・。
言うまでもないが、作者というのは、もちろん、かぎりなく作者に近い、小説の主人公のことである。
『落葉 神の小さな庭で』(日野啓三)より
2013年11月15日金曜日
2013年11月14日木曜日
雑感-『薄青く震える秋の光の中で』(日野啓三)
腎臓癌、鼻孔癌、そしてクモ膜下出血と、命を脅かす病たちをからくもやり過ごしたあとの秋。
作者は自分と世界の正体に目を凝らしている。
・・・・ただ古来多くの神話と伝説が伝え残しているように、生身の人間が今までどおりの状態で、世界の認識が深まり豊かになる、ということはありえない。もし世界の真相が恐るべきものであるなら、認識者自身、多少とも怪物的にならねばならないだろう。謎が世界の核であるならば、彼自身謎めいた存在に近づかない限り、その認識も表面を撫でるだけに終始するだろう。・・・・
(p31)
あるドキュメンタリー写真家の女友達が作者の病床を訪ねてくる。身体を動かすこともかなわない作者だが、その<出会い>に運命的なものを感じる。
たまたま病院の窓の外に見つけた落葉高木(えごのき)が揺れている方角に彼女が暮らしていることを思い、作者の「体の深みの暖かみはいっそう広がってやさしく震え始める」
・・・・そう、この世界のすぐ上、すぐ奥、すぐの深みには古来、聖霊が統べる領域があって、われわれの魂が純粋に張りつめ、視線が力を秘めていれば、聖霊の力をじかに感じ取ることもできるはずなのだ。・・・・
(p47)
なにやら中沢新一の聖霊論を彷彿とさせる記述ではあるが、彼は知識ではなく、実感としてそれを感じているのだろう。
そこに女性的なものがかかわっていることがその証だと思う。
『落葉 神の小さな庭で』(日野啓三)より
作者は自分と世界の正体に目を凝らしている。
・・・・ただ古来多くの神話と伝説が伝え残しているように、生身の人間が今までどおりの状態で、世界の認識が深まり豊かになる、ということはありえない。もし世界の真相が恐るべきものであるなら、認識者自身、多少とも怪物的にならねばならないだろう。謎が世界の核であるならば、彼自身謎めいた存在に近づかない限り、その認識も表面を撫でるだけに終始するだろう。・・・・
(p31)
あるドキュメンタリー写真家の女友達が作者の病床を訪ねてくる。身体を動かすこともかなわない作者だが、その<出会い>に運命的なものを感じる。
たまたま病院の窓の外に見つけた落葉高木(えごのき)が揺れている方角に彼女が暮らしていることを思い、作者の「体の深みの暖かみはいっそう広がってやさしく震え始める」
・・・・そう、この世界のすぐ上、すぐ奥、すぐの深みには古来、聖霊が統べる領域があって、われわれの魂が純粋に張りつめ、視線が力を秘めていれば、聖霊の力をじかに感じ取ることもできるはずなのだ。・・・・
(p47)
なにやら中沢新一の聖霊論を彷彿とさせる記述ではあるが、彼は知識ではなく、実感としてそれを感じているのだろう。
そこに女性的なものがかかわっていることがその証だと思う。
『落葉 神の小さな庭で』(日野啓三)より
2013年11月13日水曜日
雑感-「『時間』の克服」(平野啓一郎)
ミルチャ・エリアーデについて。
彼は生涯3つの分野で著作活動を行なっている。
宗教史・比較宗教学、日記・自伝、そして小説である。
宗教関係の本は何冊か読んでいるが小説は未読である。
おそらく、小説にこそ彼の同時代に対するメッセージが強く打ちだされているのだろう。
・・・・エリアーデは、あらゆる実存的不安は、時間の問題に、取り分け、その西欧近代的な(遡れば、ユダヤ・キリスト教的伝統であるが)直線的かつ不可逆的な性格に由来していると考えていた。
我々の生きる日常とは、聖なるものの偽装して現れた姿に過ぎず、その聖なるものの「しるし」を発見し、絶え間なく変化を繰り返す線形的な時間から脱出して、永遠の時間を生きることこそ必要であるというのが、彼の根本的な主張である。・・・・
(p115)
近代的な直線的時間でもなく、古代的円環的な時間でもない、新たな時間論(あるいは解釈)が必要とされている。
というのは、人類文明はまさにその線形的な時間のレールの上を、まるでブレーキが効かない列車のように爆走(暴走)しているからである。
彼は生涯3つの分野で著作活動を行なっている。
宗教史・比較宗教学、日記・自伝、そして小説である。
宗教関係の本は何冊か読んでいるが小説は未読である。
おそらく、小説にこそ彼の同時代に対するメッセージが強く打ちだされているのだろう。
・・・・エリアーデは、あらゆる実存的不安は、時間の問題に、取り分け、その西欧近代的な(遡れば、ユダヤ・キリスト教的伝統であるが)直線的かつ不可逆的な性格に由来していると考えていた。
我々の生きる日常とは、聖なるものの偽装して現れた姿に過ぎず、その聖なるものの「しるし」を発見し、絶え間なく変化を繰り返す線形的な時間から脱出して、永遠の時間を生きることこそ必要であるというのが、彼の根本的な主張である。・・・・
(p115)
近代的な直線的時間でもなく、古代的円環的な時間でもない、新たな時間論(あるいは解釈)が必要とされている。
というのは、人類文明はまさにその線形的な時間のレールの上を、まるでブレーキが効かない列車のように爆走(暴走)しているからである。
雑感-「風が哭く」(日野啓三)
作者が慶応病院脳外科に入院したときの実録風短編。
慶応病院は、外からは見たことがあるが中に入ったことはない。
その新棟に脳外科病棟があり、作者はその十階の病室で激しい春の風の音を聞く。
それは、「嘆くようにも、怨むようにも、号泣するようにも、むせび泣くようにも、惻々と訴えるようにも、体を震わせて難詰するようにも、呪うようにも聞こえる」(p19)という。
社会から隔離され、社会性を剥奪されて、裸の肉体として<死>の前に引き出されれば、大抵の人が作中の老女のように思うだろう。「どうして自分がこんな目に」と。
怒りにせよ、哀しみにせよ、諦めにせよ、その感情は個的なものを超えて普遍的なものに限りなく近いだろう。
<死>というものを目前にしたとき、人はおそらく人類普遍の感情に触れるはずだ。死んでいった祖先たちが感じ、また人類世界が続く限り子孫たちが感じるであろう根源的感情・・・。
そのとき人ははじめて他者の生(なま)の感情に触れることができるともいえる。
作者はその啾啾たる風の音を聞きながら次のように思う。
・・・・人間は、実際に地上の岩山や洞窟や廃墟の中で風の哭く声を聞いて、自分たちの魂の奥にうごめく悲しみと絶望を意識したのであり、そのように意識したとき、「魂」とか「心」という、”超現実の現実”を初めて認識し実感したのではないだろうか。
つまり私たち人間は変奏する風のうなりから生まれたのだ。少なくとも、その自意識の、比類ない陰影は・・・・
(p25)
『落葉 神の小さな庭で』(日野啓三)より
脳の跡がらんどうだよ春疾風
慶応病院は、外からは見たことがあるが中に入ったことはない。
その新棟に脳外科病棟があり、作者はその十階の病室で激しい春の風の音を聞く。
それは、「嘆くようにも、怨むようにも、号泣するようにも、むせび泣くようにも、惻々と訴えるようにも、体を震わせて難詰するようにも、呪うようにも聞こえる」(p19)という。
社会から隔離され、社会性を剥奪されて、裸の肉体として<死>の前に引き出されれば、大抵の人が作中の老女のように思うだろう。「どうして自分がこんな目に」と。
怒りにせよ、哀しみにせよ、諦めにせよ、その感情は個的なものを超えて普遍的なものに限りなく近いだろう。
<死>というものを目前にしたとき、人はおそらく人類普遍の感情に触れるはずだ。死んでいった祖先たちが感じ、また人類世界が続く限り子孫たちが感じるであろう根源的感情・・・。
そのとき人ははじめて他者の生(なま)の感情に触れることができるともいえる。
作者はその啾啾たる風の音を聞きながら次のように思う。
・・・・人間は、実際に地上の岩山や洞窟や廃墟の中で風の哭く声を聞いて、自分たちの魂の奥にうごめく悲しみと絶望を意識したのであり、そのように意識したとき、「魂」とか「心」という、”超現実の現実”を初めて認識し実感したのではないだろうか。
つまり私たち人間は変奏する風のうなりから生まれたのだ。少なくとも、その自意識の、比類ない陰影は・・・・
(p25)
『落葉 神の小さな庭で』(日野啓三)より
脳の跡がらんどうだよ春疾風
2013年11月12日火曜日
2013年11月11日月曜日
雑感-「でっち上げられた衰耗」(平野啓一郎)
ランボーの『地獄の季節』の一節。
引用は『モノローグ』(平野啓一郎)から。
「行為は生活ではない、一種の力を、言わば、ある衰耗をでっち上げる方法なのだ。」
(p.132)
この言葉は、臨終の床でつぶやかれた言葉ではなく、ランボーが詩を捨て、アフリカに赴く前に書かれたことに平野は注目している。つまり、まるでその言葉を予言として実行するかのようにランボーが「衰耗をでっち上げ」て死んだことに。
ヴェルレーヌとの放蕩生活の中でいやというほど「行為」の本質を知った彼なのに、どうして衰耗の一生を送ったのか。
おそらく、ひとたび行為の本質に気づいた者はそのようにしか生きられないのだろう。
・・・二元論の矛盾の狭間で苦しみ喘いだ後、彼ら(ロマン主義者達)が遂には筆を捨て、行動へと身を投じ、破滅しなければならなかったかということ。その宿命の克服は、今なお古びない大きな問題であり、私にとっては、恐らくは生涯関わり続けるべき文学的主題となるであろう。・・・
(p.133)
初出は、2003年1月5日「讀賣新聞」朝刊
マルセーユの冬日ランボー息絶える
(参考)アルチュール・ランボー忌
引用は『モノローグ』(平野啓一郎)から。
「行為は生活ではない、一種の力を、言わば、ある衰耗をでっち上げる方法なのだ。」
(p.132)
この言葉は、臨終の床でつぶやかれた言葉ではなく、ランボーが詩を捨て、アフリカに赴く前に書かれたことに平野は注目している。つまり、まるでその言葉を予言として実行するかのようにランボーが「衰耗をでっち上げ」て死んだことに。
ヴェルレーヌとの放蕩生活の中でいやというほど「行為」の本質を知った彼なのに、どうして衰耗の一生を送ったのか。
おそらく、ひとたび行為の本質に気づいた者はそのようにしか生きられないのだろう。
・・・二元論の矛盾の狭間で苦しみ喘いだ後、彼ら(ロマン主義者達)が遂には筆を捨て、行動へと身を投じ、破滅しなければならなかったかということ。その宿命の克服は、今なお古びない大きな問題であり、私にとっては、恐らくは生涯関わり続けるべき文学的主題となるであろう。・・・
(p.133)
初出は、2003年1月5日「讀賣新聞」朝刊
マルセーユの冬日ランボー息絶える
(参考)アルチュール・ランボー忌
雑感-「落葉」(日野啓三)
作者は2000年元旦に慶応大学病院の脳神経外科に入院。
脳の中心部の動脈瘤が破れて、クモ膜下出血を起こしたのだ。
作者の脳を開頭した担当の医師が術後こう言ったという。
「頭を開いたら、落葉がつまっていたよ。とてもいっぱい、どうしてあんなに落葉だったのだろう」
・・・私の切られた頭蓋骨の切り口からこぼれ落ちて床にたまった落葉の小山さえこの医師なら本当に見たかもしれない。それは私の運命に対する比類ない詩的洞察であり、私は頭を開いて(心ではなく)、正体をさらしたわけだ。・・・
(p11-12)
手術後退院して自宅静養中に書かれた短編の一つ。
初出は2000年すばる12月号。
作者は2002年10月14日に死去している。
落葉降る下に最後の人歩む
脳の中心部の動脈瘤が破れて、クモ膜下出血を起こしたのだ。
作者の脳を開頭した担当の医師が術後こう言ったという。
「頭を開いたら、落葉がつまっていたよ。とてもいっぱい、どうしてあんなに落葉だったのだろう」
・・・私の切られた頭蓋骨の切り口からこぼれ落ちて床にたまった落葉の小山さえこの医師なら本当に見たかもしれない。それは私の運命に対する比類ない詩的洞察であり、私は頭を開いて(心ではなく)、正体をさらしたわけだ。・・・
(p11-12)
手術後退院して自宅静養中に書かれた短編の一つ。
初出は2000年すばる12月号。
作者は2002年10月14日に死去している。
落葉降る下に最後の人歩む
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