2013年6月29日土曜日

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」メモ(1)



<誰がシロを殺したのだろうかということについてのメモ>


いうまでもなく、村上春樹の小説はとりわけ<多層的読解>を愉しむ作品であるから、犯人探しについても多層的な読解が可能であろう。

たとえば、多崎つくるは、その名が暗示するように<多重人格>的であり、彼が見る淫夢それ自体が現実に起こったことの変奏であったとみる見方も可能であろう。(夢の中ではシロとクロがつくるに性的な奉仕を行なっている)

シロは、彼女が主張したように実際に自由が丘の彼のマンションを訪れ、つくるに薬を飲まされて、レイプされたのである。シロをレイプした人格は、この小説の語り部のつくるにはアクセスできない交代人格であり、浜松まで出かけて行って彼女を殺したのもその人格である。シロが言うところの<裏>のつくるである。

レイプ事件で仲間からハブられたつくるの裏の人格が、証拠隠滅のためか、さまざまな手段を使って浜松に潜んでいるシロを見つけ出し、まさにつくるがイメージしたような状況で彼女の部屋に入りその<美しい首>を締めたと。

この読解では、つくるは解離性同一障害であり、主人格のつくるは交代人格のつくるの残虐な行動にまったく気づいていないということになる。パラレルワールドとは、つくるの意識の中の区画された世界ということになる。


つくる以外にも、アカ、アオ、クロのいずれも犯人に見立てて推理することは可能であろう。

さらにシロの父親が犯人であるという説もあるようで、いわば、この小説でシロに関わる人物すべてが犯人(シロではない!)の可能性があるようにも見える。

いずれにしても、殺人現場の具体的状況や関係者のアリバイなど、推理小説が必要とする情報が圧倒的に不足しているので、犯人を推理するのは所詮砂上の楼閣にすぎない。ありうるとすれば、この小説、あるいは村上春樹の小説群が要請する主題論的な推理があるだけだろう。


私は、村上春樹の小説の根本主題は<救済>にあると思っている。したがって、この小説の中で問題になるのが、<誰が何の罪から救済されなければならないのか>ということだろうと思う。その観点から<シロ殺しの犯人>に迫ってみたい。

ただ、小説を一度しか読んでいないし、しかもその本は借りて読んだもので今手元にないというおぼつかない状況である。破綻や思い違いがあるだろうということを予め断っておく。この文は、あくまでも自分自身のためのメモにすぎない。

まず「多崎」という名前であるが、これは明らかに<多指症>を暗示している。<崎>は、<裂>であり<先>である。つくるの友人灰田の話の中に<六指症>のジャズ・ピアニストの話が出てくるが、これは重要な伏線になっていると思う。

その奇妙な人物(緑川)は、自分は<死のトークン>を持っていて、それを別の人物に渡さなければ自分自身が死ぬという。彼は、おそらく切り取った六本目の指を持って旅をしているのだろうが、その六本目の指が彼の言う<死のトークン>ではないかと思える。もちろん、象徴的な意味で。つまり、それはすでに死んでいる自分自身であり、いわば<死>のトークン(徴)である。


さて、シロ、クロ、アカ、アオとあだ名される4人とつくるが作り上げていた仲間関係だが、その尋常ならざる結合力はある種の教団や結社のそれに似ている。聖なるものを外部から護るために成員が強固に結合している共同体。まさに、5人はそういった共同体を作っていたのである。もちろん、最初は単なる気の合う友だちの集まりだったのだろうが、最後にはすべてのメンバーをがんじがらめにする運命共同体になっていたのであろう。

そこから逃走したのがつくるである。彼が逃げだしたことによって、共同体が護っていたものが徐々にその封印の力をやぶって顕現してきたのであろう。つくるはその危険性をまっさきに感知して故郷を離れたのである。

しかし、その逃走は他のメンバーから<裏切り>として激しく糾弾されることになる。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」メモ(2)

2013年6月28日金曜日

夏を待つ

夏を待つ始まりの予感さながらに希釈するべくただ夏を待つ

2013年6月27日木曜日

気づき

気づかずに生きてたことに気づいたらあとは気づいて死んでいくだけ