2013年11月11日月曜日

雑感-「でっち上げられた衰耗」(平野啓一郎)

ランボーの『地獄の季節』の一節。
引用は『モノローグ』(平野啓一郎)から。

「行為は生活ではない、一種の力を、言わば、ある衰耗をでっち上げる方法なのだ。」
(p.132)

この言葉は、臨終の床でつぶやかれた言葉ではなく、ランボーが詩を捨て、アフリカに赴く前に書かれたことに平野は注目している。つまり、まるでその言葉を予言として実行するかのようにランボーが「衰耗をでっち上げ」て死んだことに。

ヴェルレーヌとの放蕩生活の中でいやというほど「行為」の本質を知った彼なのに、どうして衰耗の一生を送ったのか。

おそらく、ひとたび行為の本質に気づいた者はそのようにしか生きられないのだろう。

・・・二元論の矛盾の狭間で苦しみ喘いだ後、彼ら(ロマン主義者達)が遂には筆を捨て、行動へと身を投じ、破滅しなければならなかったかということ。その宿命の克服は、今なお古びない大きな問題であり、私にとっては、恐らくは生涯関わり続けるべき文学的主題となるであろう。・・・
(p.133)

初出は、2003年1月5日「讀賣新聞」朝刊


マルセーユの冬日ランボー息絶える

(参考)アルチュール・ランボー忌