一年有半悠久兆民忌
12月13日 享年54歳(咽頭癌)*
毎日が忌日
中江が咽頭癌のため余命一年半と宣告されたのが1901年4月。そして闘病の末亡くなったのが宣告余命よりも10ヶ月早い、その年の12月だった。
死を目前にして彼は『一年有半』と『続一年有半』を書き残すのだが、それを同じく病床で苦しんでいた正岡子規が<女々しい理屈>だと批判している。*
ちなみに子規は翌年1902年9月に34歳で亡くなっている。兆民が『続一年有半』を書き上げた一年後である。
(参)中江兆民の終焉