2015年11月22日日曜日

Norwegian Wood

村上春樹の『ノルウェイの森』の英訳版"Norwegian Wood" を<聴読>した。

原作はずい分前に読んでいたが、今回はAudibleで英訳版を聴いてみようと思い、Audible.com(日本語版でない)に会員登録して(正確にいうとAmazon.comに会員登録すると自動的にAudible.comにも登録されるようだ)そのオーディオ版を手に入れた。(お試し期間があるので無料)

Audible "Norwegian Wood"

オーディオだけではさすがに読解の精度が落ちるだろうと思ったので、Kindle.comでテキストも購入した。(こちらは有料)

Kindle "Norwegian Wood"


まず気づいたのは、テキストとオーディオの内容が少し違っていることだ。イギリス英語をアメリカ英語に置き換えている。例えば、<underground>が<subway>に代わっているとか。それ以外の理由でも変更されている部分がかなりあった。

オーディオを聞いてとりわけ感銘を受けたのは、文字だけでは理解できない微妙な<feelings>を音声を通して感じることができたこと。いわば<読み聞かせ>を聴いてような感じ。

個々の言葉の意味が多少分からなくても、語りの流れに身を任せていると自然、物語の言葉に頭脳が慣れ親しんでくる。そして心がそのリズムに同期していく。まるでジョギングをしているように気分。

日本語で読んだ時はずいぶん翻訳調だなと思ったが、実際の翻訳をみるとやはり原作は日本語世界の作品だということがよく分かった。原文と翻訳ではその下地になる世界観がずいぶんと違う。言うまでもなく、言葉とは世界である。

たとえば、直子がワタナベのことをレイコに語る次の場面。

 「私はただもう誰にも私の中に入ってほしくないだけなの。もう誰にも乱されたくないだけなの」

英文ではこうなっている。

"I just don't want anybody going inside me again. I just don't want to be violated like that again --by anybody."

かなり両者のニュアンスが異なるのではないか。<乱される>と<violated>、意味の重なる部分もあるのだろうが、明らかに<violated>の方が暴力的・侵犯的なイメージが強い。セックスというものをどう捉えるかという根深い世界観の違いを感じさせる。ワタナベの行為が直子にどういうインパクトを与えたかという重要な箇所だけに興味深い相違である。


さて、この作品、日本語と英語のどちらが好きかと聞かれたらどうだろうか?

もちろん、日本語と言いたいところだが、今の私の脳に響いている声は、英語のそれである。