三島忌や生死は糾う縄のごと
11月25日 享年45歳(割腹自殺)*
毎日が忌日
大正14年生まれの三島の満年齢は昭和の元号と一致する。
昭和20年2月、20歳の三島は出征のために兵庫で入隊検査を受けるのだが、たまたま母親から移された風邪を新米の軍医が肺浸潤と誤診し即日帰郷となっている。
その部隊はフィリピンへ送られ大多数が死傷し部隊は全滅したという。風邪の件がなければ、三島も戦死していたかもしれない。
この体験が三島に特異な死生観をもたらしたといわれているが、大いにありうることである。
(参)『絹と明察』- 松岡正剛の千夜千冊