2012年10月21日日曜日

みれどもあかぬ君

春がすみたなびく山の桜花みれどもあかぬ君にもあるかな 紀友則


字面だけを読むと何のこともない歌である。霞がたなびく山の桜花のように見飽きない君であることよ、と。しかし、丸谷才一が指摘しているように、『源氏物語』の「浮舟」の名場面と重ねてみると一挙に感受性の視界が広がるであろう。匂宮が半ば強引に浮舟と関係したあと二人で春の一日をすごしている場面だ。ひとりで見るとわびしく思える暮れ方の山際も時間が止まって欲しく感じるほど見ても見ても見飽きない。そして愛する人も。同じ体験をしたことがあるならば、いわずもがなであろう。それが桜のときならなおさらである。
<みれども>というのは男女の性的関係の成就を当然含意している。二人の運命は霞のような不確かな蓋然性に覆われており、それゆえに女ははかない桜の美を体現する存在たりえるといえる。
新々百人一首67