2012年10月21日日曜日

昔ながらの山桜

ささなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな 平忠度


『新々百人一首』の百首の中で最大の40ページがこの一首の解説に割かれている。内容・分量からしてこの作品の肝の部分であろう。歌そのものよりも俊成がなぜ「千載和歌集」にこの歌を読人しらずとして採ったかという<謎解き>にかなりの紙面が費やされており、それがなかなか読ませる。没落する平家と隆盛する源氏という政治的大混乱の真只中に、歌謡マニアである(つまり歌に関心のない)後白河院が俊成に勅撰集の院宣を下したことの不思議を丸谷才一は、配所で無念の死を遂げた崇徳院(俊成の天分を見出した人物)の怨霊慰撫のためだと解く。そして、忠度の歌を読人しらずという扱いで勅撰集にいれたことは鎌倉の源氏に対する遠慮と牽制であり、それは後白河院からの政治的要請であろうと推測している。
『平家物語』の「忠度都落」での忠度と俊成のやりとりは、日本文学史上屈指の感動的シーンであり、薩摩守忠度の名前はこれによって不滅のものとなった。無賃乗車がサツマノカミという隠語で呼ばれたのもたいていの日本人がこの美談を常識として知っていたからこそ成立したのであるが、残念ながら今日ではその文学的常識は失われている。忠度が平家興隆の時代に古代の都の廃墟に平家衰亡の未来を重ねて見たように、われわれはこの歌に日本語本体の衰亡を読み取らなければならないのかもしれない。
新々百人一首15