2012年10月20日土曜日

黒髪のみだれ

黒髪のみだれもしらず打伏せばまづかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部


丸谷才一いわく、「ちょうど別の文明において、均整のとれた肉体美が尊ばれるように、この時代には床に届くほど長い、瀧のやうな髪が男心をとらへた」のであり、「女は男ほしさに悶々とするあまり、髪の乱れるのもかまはず身を伏せる」のである。王朝文学にはつねに暗喩として語られる肉体とエロスがあり、<黒髪のみだれ>は女体の性的な<みだれ>であり、<打伏せば>は当然その昂ぶりによるものであり、<かきやり>は女の封印された愛欲を開示せんとする男の熱情と技巧を暗喩しているというわけだ。そして、この歌は回想であるとともに、その再現を強く念ずる呪術性に満ち満ちている。王朝男性は女の自涜の場面すら空想したのではないか。
いわく、「古人が慎みぶかい口調でどんなエロチックなことを述べてゐるかは、丁寧に読みさへすれば容易に理解できるはずである」と。
新々百人一首76