2013年10月6日日曜日

雑感-「エリジウム」

65歳の未来学者レイ・カーツワイルは、一日に150もの錠剤を飲みながら、2045年まで生き延びようとしているという。

2045年には何が起こるのか?

彼の予測では、2029年にはコンピュータの能力が人間を超え、2045年には全人類の知能を合わせたものよりも進化するという。

それを、彼はシンギュラリティ(特異点)と呼んでいる。

そして、2045年にはすべての病気が治療可能となり、人間は機械と常に結合され、人類は<不老不死>となるという。

映画「エリジウム」は、その2045年よりもさらに先の2154年の世界を描いている。

この未来世界では、カーツワイルが予言したことはすべて実現している。一つの例外、<全人類>ということを除いて。

シンギュラリティの恩恵にあずかれるのは、ほんのひとにぎりの超富裕層だけで、彼らは、エリジウムと呼ばれる宇宙コロニーで老いや病から解放されて、優雅な生活を楽しんでいる。それに対して、大多数の人類はスラムと化した地上で貧困と搾取に苦しみながら、エリジウムに行くことをむなしく夢見ているという設定だ。

これは、未来社会というよりも現代社会の寓意というべきかもしれない。とすれば、エリジウムは遠い未来のことではなく、現代社会にすでに存在している。

以下、ネタバレになるかもしれないが、最後にはそのテクノロジーの理想郷もレジスタンスの蜂起によって崩壊し、エリジウムのテクノロジーは全人類へ<解放>される。それは血なまぐさい革命ではなく、テクノロジーによってリブートされるのだが・・・。

この映画は、ニール・ブロムカンプ監督による現代社会への痛烈なメッセージなのだ。